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2012年8月15日水曜日

CAFE923オープン

あっという間に8月になってしまった。7月はそこそこ忙しかったけれども更新をせず終わってしまった。
気をとり直しまた更新しよう!

お世話になった國房魁さんの和泉の家がピッツアカフェとして昨日オープンした。経営は國房夫人の次女の美抄さん。菜奈ちゃんのママである。
お菓子作りのプロだが、このカフェはピッツアを石窯で焼いて出すことにした。この近場ではおいしいピッツアが食べられるところがないのがねらいである。

せいぜい客は10人までが入れる大きさだが、野外のデッキを使えば20人くらいの貸し切りパーティーぐらいはできる。元々、海のそばの別荘として建てた家だからとてもくつろいだ雰囲気になれるのが良い。
メニューは4種類のピッツアにドリンク、デザート各種で、昼間だけの営業である。手書きメニューを少しアレンジして作って差し上げた。
石窯ピッツアは短時間でカリッと焼きあがるのが特徴。見ていても美抄さんのとても鮮やかな手つき(?)でできてくる。どれもおいしそう。 
 コーヒーも地元のおいしいものを使っている。クッキーはもちろん手製である。彼女はもともとパティシェだから、おいしくて当たり前である。

とにかく場所が分かりづらい。看板も店のところだけ。地元人間はともかく、初めての方には「いすみスカイホテル」の看板が途中までは役に立つ。ホテルからそのまま100M先にある。

2012年6月20日水曜日

ヒーリング・ウッド

「ヒーリング・ウッド」をご存じだろうか?昨日、Kさんにお会いしたらそれを作ったものを見せてもらった。いろいろな木を磨いて作るのだそうだ。オリジンは屋久島に住まわれるご夫妻が始めたようで、流木を使ったものが初めのようだ。
木を磨く行為自体が癒しになるのと、磨き上げたものを身辺に置くことがヒーリングになるという。
 ともあれ、磨きぬいて、蜜蝋で仕上げた表面は確かにすべすべで、持った感触も超なめらかのため癒されるのもわかる。木材なら、燃やすくらいたくさんあるので、ちょっとチャレンジした。
 薪用にとっておいたケヤキを使って削り、磨いてみた。Kさんの程、磨いていない。ざらっとした感触である。こういう渋いのはダメかな。
 庭の夏椿が咲きだした。白い大きな花である。あっという間に散ってしまうので、次から次咲いて来る。ついでに、この時期の定番、アジサイだ。この種は「スミダノハナビ」というらしい。大原の小倉さんから頂いたものである。今年も見事な咲きっぷりであるl。

2012年4月15日日曜日

薪ストーブ

2月のことだが、我が家にも薪ストーブを設置した。いろいろ訳があって伸ばしてきたものだった。今年の冬はとにかく寒かった。暖房費も灯油を中心に大変かかっている。その割には暖かさがいまいちである。白木の貸家には全棟薪ストーブ付きと、気張っているのだが岬の我が家にはなかった。設置場所の天井や屋根の問題があった。天井、屋根の工事は2年前にしている。その時には薪ストーブも検討したのだが、知識不足と値段が高すぎた。

そして今年、友人の家の計画に携わり、薪ストーブを推奨した。その実際に使われて満足している様子から、我が家にも何とか導入しようと決心した。寒いうちにつけようと、千葉の業者のアースリー社に無理を言って、雪の降る中工事を急いでもらった。

それから、2か月毎日のように使い続けてストーブも調子が良い。薪の使用量も相当なものだ。とりあえず使っているのは一昨年、勝浦の白木の神社の楠を切ったものをもらって薪にしたものである。薪を割りながら、今年の冬までは使える量である。しかし、来年の薪の確保にこれからあちこちに声をかけておかなければならない。

設置費用を少しでも抑えようと、壁前の遮熱壁は自作である。水義さんにもらったケイカル板に漆喰を着色して仕上げた。モダーンなデザインのベルギードブレ社の小型のストーブが我が家のテラス空間によく合っている。リビングの私のコーナーには直接暖気が届かないのが残念だが部屋全体が暖まることで何とかよさそうだ。寒いときはノートPCをもってストーブの前で仕事をする。

次は薪小屋づくりを春の仕事でやる予定である。

2011年8月2日火曜日

人生コツコツ

何か月ぶりかの更新です。いろんなことに関わりを持って、やってますが、反省することも多く、もう少し人との関わりを慎重にせねばと思っています。

ともかく、3月に作業小屋を作り、白木の借家を「震災ホームステイ」に登録しておいたところ、夏休みだけでも子どもたちを外で遊ばせたいという親子が南相馬からやってきました。

いろんな話をしました。「いつになったら自分たちの生活が見えてくるのか分からない。残してきた田畑は将来誰かに買ってもらえるのか?」ということを聞くと、国や政治家がやることは2度とこういう人たちを作らないという強い決意の元、原発をすべて廃棄し、福島の大半の土地を国有化し、そこの住民に責任を持って次の生活地を保障することを実行しなくてはなりません。

本来、エネルギー、食糧、文化は地域で補うもの、工業化、産業立地など国のやってきたこと全て大反省をしなくてはなりません。脱近代化、脱産業化を図る臨界点に今あると思います。

コツコツ人生をやってきた中で、駒形さんから頂いた「肉桂の木」からお皿を作りました。すべて手仕事です。硬い木です。木肌は滑らか、木目も繊細です。樹皮がシナモンの香り、ニッキの木だから当然ですが、木部は薫りません。

エゴマ油を塗りました。しっとり良い感じです。この後カトラリーシリーズを作ります。

2010年12月20日月曜日

第1回いすみ平和美術展

12月8日から19日まで、いすみ市の房総わだつみ美術館で「第1回いすみ平和美術展」が開催されました。市内の6名のプロ・アマのアーティストが参加し、子どもも入れて約450名の方々の参加がありました。その中で行われた、焼き芋サービスやミニレールサービス、餅つき大会など楽しいイベントの紹介は次にして、まずは、出展作品の様子を紹介します。


あいさつパネルです。開催の趣旨が書かれています。いすみ市と市教育委員会が後援してもらいました。太田市長、池田教育長その他、市の職員の多くの方々も来ていただき、イベントにもご協力いただきました。


会場の初めに、私の作品を展示しました。寄木のテーブルと集成材のチェアです。概ね好評でした。チェアは集成材の切断面を背座の表面に見せる構造で、そのランダムな木目の組合せが特徴です。
量産化の目途はありませんが、どなたか販売したい方がればメーカーと調整させていただきます。


西みち子さんのパステル画です。かなりご高齢ですが、荒々しい外房の海を力強く表現されています。会期中あいにく入院されていましたが、最終日に退院、参加することができました。良かったですね。


木倶知のりこさんの作品です。そばで見ないと分かりませんが、きわめて微細で緻密な絵画です。超現実的な表現は、この世のものでない、しかし、イメージの中で立ち現われる世界を良く表現しています。立体造形化のたべ・けんぞうさんの奥様で、プロの画家ですが、今では大原をベースとして活躍されるガムラン音楽のチームの主宰で、いろいろな所での演奏活動をされています。


たべ・けんぞうさんの作品です。タイトルは「Star Dust」シリーズです。使われなくなったバイクの部品、湯沸かし器の部品など組合せ、それに光、音、動きを加え、再生された生命体を表すオブジェです。とにかく凄いのです。


大藪健さんの海の中の魚たちの写真です。八丈島には60回以上、魚のユウゼンを撮影に行っているそうです。その他、国内外の海をスキューバで楽しんでいます。普段は太東ビーチでサーファーとして、他にコウモリの洞くつ探検や、長年の教員生活で作られた教え子たちとの交流、そのお母さんたちとの交流など、とにかくこの地域では有名人です。


國房魁さんの撮りためてきた地域の子供たちの写真をずらっと並べました。初期の子どもたちは当然今は大人になって、さらにその子どもたちが見に来ていました。カメラの枠から人の表情を見続けてきたため、普段カメラなしで会うと分からないこともあるとか。昔から、超有名なTVのCFを撮り続けてきたプロ中のプロの方です。会期中も、来た人やスタッフを撮り、又それが展覧会に貼られるという、パフォーマンスも素晴らしい方です。


会場の隅ですが、「9条の会・岬」のコーナーです。これまでの活動の歩みを会報を展示して紹介しました。この展覧会のスタッフとして会員の皆さんの献身的な協力がありました。平和美術展の名にふさわしい貴重なメッセージを発信してもらいました。
などなど、内容豊富な展覧会が成功裏に終わり、このわだつみ美術館を利用して他のグループや作家の方の作品の発表に、又、子どもたちの遊び、学ぶ場として活用できれば良いという思いです。

2010年11月1日月曜日

あっという間に11月

今年もほとんどブログを更新しないままに11月になってしまった。
あまり熱心に更新しなかったのは、特別な理由があるのではなく単に気持ちが乗らなかっただけなんだ。

今年ももう終わろうという時に、これまでのことを少しまとめておこうと思う。

最近の情報から、
①COP10名古屋に行ってきた。
こちらの仲間(谷津田系)と、大藪会長6人でCOP10に行ってきた。

すごく重要な国際会議だが、国内のジャーナリズムは扱いは小さい。勝手にニュースバリューを下げているような気がする。議長国日本の政府も国民へのPRが少ない(地デジ切り替えの大げさな宣伝などの比較したら、こちらは世界の重要事なのに)。
ともかく、勝手に国土を開発したり、基地を作ったっりできなくなる取り決めなのだ。だからこの国にゃ都合悪い人もたくさんいるわけ。その辺が、事態の本質だと思う。もっと暴いて叫ばなくちゃと意を強くして帰ってきた。
もちろん名古屋だから、いろんなものを食べてきた。ここでは味噌カツの写真をお見せする。カツと一緒に喜んでいる方、名古屋でご一緒した元知事さん。おいしくみんなで食べというわけ。

②少し仕事の話

前のブログで取り上げたいすみに建設したコンパクトハウスの外回りフェンスの工事を完了した。

地元の先鋭的な若者何でも屋集団「エカの森ワークス」にお願いした。施主も納得の出来栄えだ。フェンスの位置を特定する時に、市や、県の建築指導担当にいろいろ聞いて分かったことだが、市の道と個人の土地との境界表示はかなりあいまいだということ。結局、今ある道路の中心から2m下げて位置を出すしかないようだ。市の道路なのだから、市の方で和り易い基準を設けてもらいたいと思った。

③デザインの話

友人N氏の住宅計画の相談にのっている。神奈川の真鶴に土地を購入し住宅を建てる計画だ。

夫婦二人だが、子どもや孫が来たり、母親が滞在することもあるという。いくらか余裕のある空間づくりが求められる。普段は1フロアで使い、夫婦それぞれ部屋をもって過ごしたいという。薪ストーブや吹き抜けのある空間で、なるべくお互いの存在が分かる方が良いと思いそいう提案をしている。一方敷地は広いが傾斜地のため造成せずに利用できるのは半分ほど。そいう条件を踏まえ計画をした。

これはリビングダイニングを玄関から見た内観イメージ。中2階にキャットウオークとロフト空間を採り入れ、お孫さんの遊び場と収納スペースにというアイデアだ。中心に薪ストーブを置き正面の引き戸を開け放てば奥様の部屋も十分に暖まる。

2009年3月28日土曜日

御宿海岸オイルピッチ掃除

3月10日大島沖で衝突して沈没した韓国の貨物船からとみられる重油が房総半島に流れてきました。

今のところ、勝浦、御宿の浜までで、いすみの海岸、磯では確認されていません。
3月26日、御宿の小山工務店の小山会長からの呼びかけで砂浜のオイルピッチの清掃をすることになりました。夷隅郡市自然を守る会のメンバーに呼びかけ、ブラウンズフィールドから7人の参加が得られ、総勢11人がいすみから応援に行きました。
市原、御宿の方々に、ライフガードの訓練に来ていた若者たち20名ほども加わり2時頃までせっせと手作業で油を集めました。
全部で60名くらいの参加のため、とても追いつくものではありませんでしたが、御宿町の職員もいたことでことの深刻さが分かったのではと思います。200KG近くは回収したのではないでしょうか。

夏の海岸の海水浴のことを想像するとぞっとします。何度も、もっと大掛かりで清掃することが必要と思いました。又、参加の呼びかけがあれば、できる限り協力しましょう。勝浦も被害があったそうですが詳細は分かりません。写真は岩和田海水浴場のピッチの状況です。

掃除の後、昨年7月2日に産卵し、60日後孵化したアカウミガメの産卵巣の孵化調査も行いました。結果的には総数120個、未孵化卵40個、孵化卵80戸という結果です。孵化率67%ということで、特別多くも少なくもありませんでした。こちらには町の職員は参加せず、「ウミガメ条例」を持ついすみ市とは大きな違いでした。

2008年8月15日金曜日

ようやく退院ができそう!!

11日の手術以降、当初予定では今日15日が退院でしたが、直り具合から2日ほど延長になりました。今日の先生の所見では、明日の治療(毎日、詰めたガーゼを抜く作業)で全部終わり、出血が止まれば明後日には退院ができるとのこと。

明日のガーゼ抜き張り切ってやりましょう!!

この手術は、実は副鼻腔炎による鼻茸切除ということだったんですが、手術の予後が大変ということを、知識としては知っていたのですが、そりゃもうホントーのことだったんです。

術後、2日目から少しづつ詰めたガーゼを「番町皿屋敷」のお菊さんの幽霊のように「一まーい」、「二まーい」て抜いてゆくのです。二枚も抜けば、痛さの限界、鼻を殴られて飛び散る鼻血のごとくたらたらと出てきてしまうのでギブアップになります。

ところで、私の鼻の空間には片側で11枚も入れてあったんです。それを、今日は約束違反にも5枚も抜いたんです。先生のすばやい手つきはそれはプロのもの。いくらこちらが顔をゆがめようと、「ウォー」と叫ぼうと頓着せず、スパッとやり抜いたたいしたものです。

そんな経緯を今日の午前中に済ませ、ぐったりした後、なんと久しぶりに鼻から空気が抜けたさわやかさで、痛みもすぐに飛んでいきました。そういう意味で「明日のガーゼ抜きもがんばろう」と北京の日本選手同様、明日へ向けて気持ちを高めています。

いろいろな方からの励ましをいただきありがとうございました。来週にはしばらくアルコール抜きで諸活動に復帰しますのでよろしく!!

2008年8月11日月曜日

亀田病院に入院しました

8月9日前から持っていた持病の手術のため、鴨川の亀田病院に入院しました。
この文章は亀田の病室のインターネット画面から入力しています。
本日11日が手術当日です。こうなればまな板の鯉の心境です。「何でもしてくれ~!!」
痛みが取れたら、また報告します。
入院の間、各関係方面にはご迷惑をおかけしますが、今週末までですのでお待ちください。
明日以降、病院見学をかねて、見舞いにこられることは大歓迎です。
暇をもてあそんでいます。

2008年3月24日月曜日

3月18日「日本の青空」上映会無事終了!!

3月18日

映画上映会が終わりました。昨年秋から「日本の青空」を長生、いすみ地域でやろうと始めた運動です。いすみ市の実行委員会を岬町の「九条の会」が中心となって作り、大多喜や御宿、勝浦まで広げました。いろいろな人の協力もあって、硬い内容の映画の割には、前売り券の販売や、来場者数もそこそこの成果が上がりました。
長生村、一宮、睦沢、白子の実行委員の方々との連絡会議も人のつながりができて良かったと思います。3地域合同で、とにかく見てもらう人を増やすという当初の目的にかなった運動の成果だったと思います。

「9条の会・岬」もその中心的な活動を担ってもらい、本当にご苦労様でした。上映会では、特別に若い女性にカゲアナを引き受けてもらい、それも大変明るい効果を挙げました。続く、地味な活動にも若い世代が参加してくれることが、この運動の最終的な成果になると思います。
「あまり疲れず、強制は絶対にせず、楽しく、長く続ける」が会のポリシーで良いと思います。

2007年9月9日日曜日

2007年9月8日堂本さんも来た。

今日は朝からウミガメの監視パトロールで 一汗かいた。一昨日からの台風9号は通過した後の吹き返しが長く、浜の状況を一変させた。産卵巣からの卵の流出はなかった模様で一安心。市の職員が柵を更新して元通りになった。感謝したい。夷隅河口の北岸は特に砂浜の流動が波と、風で著しい。海浜植物群落の半分くらいが波をかぶり、砂だらけの状態だ。流竹木は砂の下に埋まり一見すっきりとなった。


午後からは、大原の水彩ギャラリーへ行く。國房さんの写真展に堂本知事が来られるのを聞いてたので、Tさんと多分いろいろ話しがあるだろうということで、待ち構えた。堂本さんは写真展を見た後、案の定ちょっと話しましょうということで20分ばかり懇談となった。
いすみは彼女は気に入っていて、別荘だけでなく将来は住みたいと言っている。


國房さんが撮ったモデルになった子供たちも大勢来て、堂本さんも大喜び。本当に可愛い子供たちだ。今県との関わりで進めている「生物多様性ちば戦略」もこの子供たちの将来を見据えてのことだ。大人の責任でやらなくては!!

2007年5月7日月曜日

連休のある日長男が来た

2007年5月5日
連休後半、前日から長男が横浜から我家を訪れてくれた。正月以来で妻も私も喜んで迎えた。その夜はイナダとタコの刺身とタコ飯でご馳走した。
翌5日、連休の渋滞にはまらないで良い所を案内しようということで、まずは万木城跡へと向かった。我家から西へ15分というところである。下の駐車場に車を置き徒歩で5分ほど坂を上がる。昔の戦国の城跡ということで展望台が建っている。そこから、霞んではいるが海の方向に、太東埼が見える。北、西にも展望が広げ城にうってつけの場所だったのであろう。展望台からは四方に鯉のぼりが泳いで、つつじが咲きまさに「こどもの日」を祝っていた。
万木城から、更に西に5,6分ほど走ると行元寺(ぎょうがんじ)に着く。この寺は天台の寺としてこの辺では格式の高い寺のようで、波の伊八の欄間彫刻で有名である。ちばディスティネーションキャンペーンで全国的に有名になりその期間中連日100名以上の参拝客があったという。
この日も、我々が着いた時に20名ほどがまとまったところで、寺の住職さんが寺の建物欄間彫刻について詳しい解説をして頂くことができた。このところすごく忙しかったので健康を害したということを聞いていたが、なかなかかくしゃくとしたしゃべり方で来た客に感動を与えたのではなかろうか。
その後、昼食を済ませ、とりあえず家に戻る。長男は横浜に帰るということで太東の駅まで送った。家族の一人が帰るだけなのだが、なぜか寂しさがこみ上げた。又、いつでもおいでねという妻の言葉に長男は黙ってうなづいて駅に入った。
我々は、その後太東燈台で行っている「燈台まつり」へと向かった。太東崎燈台クラブの方々が主催していてなかなかの人出で、坂の途中の駐車場もにぎわっていた。地元の人達でなく観光客も多数いるのだが、顔を知っている人も多くいて、地元中心のイベントという感じである。
舞台の上では、顔見知りのウクレレクラブの面々が演奏中。そのあと、決まりのフラダンス。そばの売店では、Oさんの岩海苔や先日ラベルをデザインした「ヴィーナス岬せんべい」が好評に売られていた。
私も僅かながらこのクラブにお手伝いした甲斐があったようだ。
いつも連休のような生活だが、息子が来てくれたおかげで昔ながらの連休を思い出した2日間だった。

2007年2月17日土曜日

陶芸家 丸井孝之さん

N市議の紹介で岬町在住の陶芸家丸井孝之さんと知り合った。私よりもずっと前に東京から移住し、「海窯(うみがま)」という陶房を営んでいる。夷隅川の河畔に自宅と作業場がある。陶芸といっても白磁、青磁など磁器が専門のようで、東京を中心に建築家や、ギャラリーと組んで幅広く活躍されている。
彼のホームページにも作品が紹介されている。型物の磁器とは違い、一個一個が手作りで丁寧に、白磁ならではの薄みと透明感はもちろんだが、同時に手の暖かさが伝わってくるのが特長だ。
先日今年の窯開きということで、訪問してきた。その時、気に入り購入したのが写真中央のワイングラスだ。ブルゴーニュスタイルという丸く下が膨らんだブランデーグラス風のものだ。かなり破格の値段で分けてもらった。夷隅のこの地域ではなかなかその価値が分る人が少ないようで、地元では殆ど商売にはならないようだ。
彼は夷隅に移り住んで来てこの方海釣りを楽しんで勝浦方面の磯を根城にしているとのこと。自分で釣った魚を、自分でさばき、自分の焼いた磁器に盛り付ける、これが一番のセールス手法のようだ。
これからもう少し地元での活動を重視していきたい、そのために私などとの接点でネットワークを広げて行きたいと、希望をお持ちだ。デザインやアートに関わる、クリエイティブな人達を結集して、もっと普通の生活の中でオリジナルな『美』を提供していけるような仕組みづくりをしたいということで、私も一肌脱いで「外房クリエーターズネット」をお手伝いしよう。

2007年2月2日金曜日

三門駅が改築

昨年の春、我が利用駅であるJR外房線三門駅が焼失し、仮の駅舎(プレハブ小屋)で営業してきました。まあ元々無人駅ですから営業というよりも、ただ存在していただけですが。それが、いよいよ再興することになり2月1日に完成オープンしました。
オープン式典はした様子も無く、又、駅員がそのためにいた形跡も無く、静かに利用が開始されようです。すがすがしい新駅のスタートです。この駅の特長は、きちんとしたトイレができたことです。清潔で、男女もしっかり隔てられ、乗降客数から見て贅沢な良いトイレです。駅に入らなくても使えますから、公衆トイレとして誰でも使えるところが素晴らしいと思います。建物デザインは刑務所の鉄格子を連想させる横桟がラダー状に外周に組まれ、建物本体を保護 しているようです。こうした設計が、現在のJRの無人駅の標準設計ということなのでしょう。もう少し愛着湧くような、この土地を意識したようなアクセントが欲しいところです。
以前の駅は、初めて見てびっくりの駅舎でした。写真のように貨物用の貨車を改造した、置くだけで駅になるという鉄道会社ならではのコンテナハウスでした。グッドアイデアですが、利用者の立場はあんまり考慮されていませんでした。
外房沿線の近くの無人駅として「東浪見」(とらみ)と「浪花」がありますが東浪見が同じ貨車タイプだったように思います。沿線無人駅グループの中ではダントツにきれいです(当たり前ですが)。公園のトイレとあまり区別できないようなデザインが、「モダン建築」の行き着いた結果のような駅です。二度と放火にあわないよう祈るばかりです。