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2013年4月25日木曜日

ロケットオーブン2号でグリッシーニ調理

 このブログも半年に1回のペースになってしまった。ファイスブックやほかのメディアができたせいもあるが、発信すべき情報かどうかつい面倒になってしまったのが本音である。

また、少し余裕(時間ではなく、心の)ができたので再開する。今回は一昨年から追求してきたロケット燃焼式のオーブンを紹介する。
薪を使うピザオーブンは、レンガや土を使って作るのが普通で、もちろん運ぶことはできない。今回のは、ロケットコンロ+オーブンユニットの分割型で、いずれも薄い鉄板を加工したもので20キロ以下のため持ち運び可能だ。
このオーブンを使ってイタリアングリッシーニを作ってみた。

 1号機はホームかまど内にペール缶を吊り下げ周囲を熱し、直接燃焼空気が内容物に触れない設定だった。ペール缶の直径サイズに容積が限られ、調理物の大きさに制約があった。2号機では、ホームかまど(38センチタイプ)事態をオーブンの内壁としたため大きさにゆとりができた。燃焼空気は直接釜内を循環して上部の煙突から排出される仕組みにした。
薄い鉄板で外周りを作るため、断熱が最も重要である。また、釜内の温度変化を減らす工夫、つまり蓄熱材の設置も重要だ。断熱はロックウールの80K/㎥50ミリ厚をホームかまどの外側に巻きつけその外側にコイル状に薄板をまきつけながらダブルナット方式で固定した。その前後を同じ断熱材を覆い薄板で密閉した、結果的には機関車トーマス的な顔になってしまった。

さて、グリッシーニはレシピ通りに生地を作り(ピザとほとんど同じもの)用意した。

薪は、すすの少ない樹種を選んだ。桜と樫である。炊きつけは小さなダンボール紙と杉材である。簡単に火がつき、ロケット燃焼の特徴であるゴーと音を立てながら炎が吸い込まれていく。

燃焼部の一斗缶は内部の煙突との間に軽石が詰められているため、表面はほとんど熱くならない。1時間以上燃やしても、手で触れる程度に暖まるだけだ。 

内部の様子はこんな感じである。奥にはかまど内に固定した薄板の隔壁があり、下のコンロから燃焼ガスが後ろに回り隔壁の両サイドから釜内に流れてくる。より効果的に熱を伝えるため底板には御影石を置き、両側には溶岩プレートを置いて、遠赤外線効果を期待している。底板からガスレンジ用の五徳で浮かして調理物に均等に熱が伝わるようにした。 

材料を入れるタイミングとして240℃をめどにした。少し、大目に薪を投入すれば20分から30分で到達する。そのまま燃やせば270℃くらいまで上がる。この燃焼方式の欠点は、わずかな薪で効率の良い燃やし方をするために、温度変化が大きく、一定温度に保つことが難しいことだ。薪の投入の気遣いが必要で、その場にいなくてはならないのが、人によっては面倒になる。樹種ごとの燃え方や熱量など、マニアックな興味のある人にはとても面白い。私も2,3種の薪を準備して燃え方をコントロールしている。

出来上がりである。240℃で10分間でこんな感じである。プラス1,2分あっても色が少し濃くなるぐらいだから、アバウトでもできる。
 
この、ロケットオーブンの特徴である携帯性は、サバイバル環境で役立つと思うが、通常時、イベント、移動販売などでも行けると思う。少し工夫すれば石焼き芋にも応用可能だ。大量の薪を使わずにそこそこの料理ができるのが良いと思う。ただ、調理をするだけなら、下のコンロだけでやれば中華鍋を使った料理なんかに最適だ。

こんなものを作りたい、利用したい人がいればワークショップで製作のご指導もやろうと思う。材料費約2万円、工具を少し揃えればできてしまう。

2012年6月30日土曜日

6月末ダイジェスト

Topic 1 いすみエコツアー

今年も昨年に引き続き、市民提案事業として「いすみの小さな旅2012夏物語」を開催します。
今年2月に昨年度の事業として実施し、参加者の方々から大変好評を得ました。
いすみ市にある、そこでなければ体験できない何かを見つけ出し、この地域での滞在型ツアーを定着させるのが目標です。
今年は3つのプランを用意しました。それぞれ特徴のあるプログラムです。対象も少しずつ違う方々を見込んでいます。ツアーの内容、申し込みはツアーの専用サイトhttp://isumi-ecotour.com/ からお願いします。
Topic 2 シーバス

次はおいしいお話です。釣りたてのスズキを釣り名人Tさんから頂きました。その朝、13匹釣れたうちの2匹をいただきました。早速刺身用に3枚おろしにして、残りを骨付きで塩水につけ乾燥させ冷凍しました。
とにかく、繊細でうまいのです。ポン酢が合うようです。しゃぶしゃぶも良いようです。上の写真はまな板の鯉ならぬスズキです。大きさも太さも大体わかると思いますが手頃です。大きいと、骨を切るのが大変。えらぶたも危険です。さばくには軍手が必須です。
Topic 3 Healingwood

またヒーリング・ウッドです。今度はケヤキから杉に変わりました。薪から一部切り取り磨きました。堅木にたいして大変柔かいですから、削りすぎに注意が必要です。短時間でできます。意外と木目がきれいに出ました。皮は完全にはがさなくてはなりません、というかはがれてしまいます。
木の生えていた方角が年輪の密度の違いによりすぐ判ります。
こども達の入門用には良い材かと思います。どこでも手に入りやすいのも魅力です。もちろん田舎ではの話ですが。
Topic 4 菜の花エコプロジェクト

久々の菜の花エコの情報です。昨年10月に種をまき今年6月初旬に収穫したものを、乾燥させ種取を行いました。6月22日、4人で1時間半で終わるほど量は少なめでした。例年の3分の1程度です。気候と手抜きの相乗効果だと思います。10Kgにも満たないようです。この状態でさらに乾燥、搾油は7月2週に唐箕かけをしたうえで行います。僅かですがプロジェクト参加者に特製の菜種油を提供できると思います。
種の色は早い収穫の時の赤みが強い状態です。油は濃い色になるはずです。来年は参加者、畑もどうするか、再出発をした方が良いかもしれません。集まりやすい場所で100坪くらい畑を借りてやるのが良いかもしれません。また、実行する方々を新たに募集してやることも検討する必要があるかと思います。

2012年5月15日火曜日

瓦土留め工事Ⅱ

土留め工事は延々と1か月以上かかりました。ようやく完成です。最後は階段脇のスロープの処理です。草で覆われ、土が流れてしまい処理に困っていました。今回の土留め工事に合わせ同じ、山田の土をベースに塗り固めることにしました。

これまでの経験から、山土と山砂石灰だけだと、雨で溶け出し流れることは分かっています。また固まるのに時間が数日かかることも、外部で使うには難しい要因です。

そこで、今回はセメントの力を利用しました。また、広い面積を人が乗ることも想定し、強度を与えるために砂利を多めに加えました。

粘土の粘りを出すためにはよく煉ることですが、手ではとても重くてできません。ビニールシートに空煉りした材料を乗せ、水を加えながら足で踏んで練り上げます。ときどき扁平になったものをシートごとひっくり返しながらやると効率よくできます。ヤスさんに教えてもらった方法です。

また今回は、土の掛りをよくするため金網を敷き、煉った土をたたきつけるように設置し、表面をコテで仕上げ、波模様の線を滑り止めを兼ね描きました。弥生土器のイメージです。

今回の工事に伴い、庭に菜園を作ることにしました。夏野菜用に小さな菜園です。
小さな畑。きゅうりとオクラ、ナス、ピーマンを作ります。

そのために、イロハモミジの移植を行いました。葉が茂ると、日陰の芝がだめになることを見こし、防草シートを張ってその上を自然石で化粧することにしました。意外と石が多く必要とされます。



2012年5月2日水曜日

ほとんど土の人

4月初めから取り組んできた、古瓦利用の土留め工事は1か月たちようやく最後が見えてきた。まだ仕上げの土仕事が表面、および、周囲の立ち上り部分など残っているが、本体部分はほぼ完成である。

思いついた時は、そんなに長くかかるとは思わなかったが、取り掛かると来る日も来る日も瓦積みが続き、その後は壁土塗りが続いた。壁土もロケットオーブン用に仕込んだ分がなくなり、28日に山田へ行ったときにまた新たに仕込んで、それを使ってきた。それもわずかになり、再度もらいに行くようである。

壁土は、山田の山を崩した時に出た表土の少し下の粘土層の土と、購入した山砂を同量加え、量販店で買った苦土石灰(石灰にマグネシウムを加えたもの)20キロ300円弱のものを、土の5%程度を混ぜ合わせ使ってみた。水を僅か加えることで、そんなに練らなくても非常に粘りのある土にすぐ変わる。掌でしばらく団子にして練りこみそれを瓦と瓦の間に押し付け伸ばしてゆく。気持ちが良いくらい適当に柔らかく、よく延びる。彫塑の粘土により近い可塑性と崩れない結合性が得られる。


瓦をよく見ると「不動谷」という彫り込みがスタンプされている。これが地名だとすると、そこで焼かれた瓦なのではと推測できる。そこで市内の地名として調べると、大原大聖寺が「根方字不動谷」という地名になっている。その近くに瓦の窯があったのかどうか分からないが、誰かに聞いてみようと思う。

粘土は、乾くと縮まりひびが入ってくる。擁壁としての構造は、土嚢と、瓦のつなぎをしているモルタルで持たせているので、このひびは問題ない。土壁らしさの味として、ひびがあってもよいと思う。通常1週間で水分が抜けカチカチに固まる。色も、白っぽくなって、落ち着いてくる。


この2週間くらい、壁土と、ボーダー部の三和土(たたき)もどきを作るため、土、砂、砂利、石灰、切り藁、水をいろいろ配合し感じをつかんできた。三和土は原則水分は加えず、元の湿り気のまま敷き詰め、たたいて固めた方が良く固まり、作業性もよい。MAX古民家の土間も水を加えずやった方が良かったかもしれない。

土をいじくることで、先人の技術の高さと、「土の人」の面白さが分かってきた。今、そういう意味でほとんど土の人になっているようだ。階段横のスロープが完成すれば工事完了である。完成時の様子はまたアップしたいと思う。

2012年4月25日水曜日

太東埼燈台クラブ

太東埼燈台クラブの活動のお手伝いをいろいろやってきた。
数年前には、「いせえびせんべい」のパッケージデザインや、のぼりのデザインを提供した。

地方の元気再生プロジェクトでは、灯台への誘導看板をちばデザインネットワークとして協力し制作した。

今回は、そのデザインを基に追加を一か所行った。

5月4日に行われる燈台祭りのポスターはここ5年間ほど続いている。今年は歌謡ショーと絶叫大会が目玉だそうだ、チーバくんも登場する。賑わうことを期待する。


 また、今年の市民提案事業では波の伊八彫刻を中心に市内の寺社めぐりツアーを行う。そのための募集パンフレットも作成した。
「太東埼波物語」というパッケージネームでモニターツアーを行う。既に、予約が多く来ているそうだ。 
私たちのいすみ夢鯨の会が取り組んでいる「いすみの小さな旅」エコツアーと相乗効果が上がるとよいと思う。

2012年4月22日日曜日

真鶴中村邸

3月中旬、友人で小田原の大学の先生をやっている中村さんの住宅ができた。昨年、初めから住宅づくりに相談に乗っていた。1月末建物ができ、3月に外構工事も終わり完成した。

お祝いにロイヤルコペンの2012年イヤープレートを差し上げた。そのプレート受けも手作りで作った。プラタナスの無垢材である。面白い形ができた。


 彼の書斎には一昨年制作した房総の木の家具シリーズの書棚もプレゼントした。もろもろ、関わってとても良い家になって喜んでいただいている。少し遠いがこれからも時折訪問するつもりだ。

2012年4月13日金曜日

制作途上

今月初めから、懸案だった我が家の駐車場、階段周りの改修工事にかかった。元々、建築当初は芝を張った斜面、うまく芝が付かないので、段々の花壇に古材を使って改修、その後、木が腐り、白アリの巣となったまま放置してきたが、白アリが家にも侵入しはじめ、近所の迷惑にもなる恐れから、今回の改修となった。

まず初めは、腐った木材の撤去を行い、基本的に焼却することにした。次に花壇の土を土嚢袋に入れ斜面(約60度)の土留めにした。ここまでも土嚢袋72個積み上げる力仕事で、とても63歳の仕事とは思えないほど大変。


そしてこれからが、本番の瓦土留めの制作だ。ご近所の農家の古民家の屋根瓦が積んであったものをもらってきた。その家は150年くらいたった古民家で、元々瓦葺だったという。30年ほど前に瓦を葺き替えた時に出たのがこの瓦で、いわゆる地元産の素焼きのいぶし瓦である。

第1便で約120枚ほど、持ってきて積み上げ、まだまだ足りないので今日また、150枚ほど運んだ。
積み方は、お隣の大工さんのIさんのアドバイスで瓦塀スタイルにした。土嚢袋の斜面に沿わして積み上げてゆく。1枚1枚モルタルで隙間を取りながら1段あたり約8センチぐらいで高くしてゆく。

1日せいぜい2~3段積むのがやっとである。モルタルをから煉り、固練り、普通の3段階で練りながら積んでゆく。まさに万里の長城を築くような気の長い仕事である。

今日の段階で11段積みあがった。約1メートルある。あと50センチぐらい上げて、完了する予定だ。その後に仕上げとして、粘土を砂と練り上げ石灰を混ぜ土塀の要領で表面を覆い、築地塀的土留めとなるはずだ。いつ完成するか、木が遠くなる労力である。

本来は、この土留めでできたスペースに薪棚を作る予定だったが、これほど苦労した瓦塀を隠すことはないと思い、薪棚の位置は変えることにした。夏までには棚も完成するであろう。

2011年12月10日土曜日

311の記憶の家具

今年も12月で、終わろうとしています。いろいろあった中で、誰しも生まれて初めての大津波、大地震、原発災害と記憶から消せない1年となりました。




その3月11日の震災は、御宿の牛舎8号でM氏と銘木の購入のお手伝いをしている最中でした。その時に購入した材は、私の工房で半年以上寝ることになりました。


10月頃、そのままというわけにもいかないので、M氏と相談し、元々の計画通りに形にしようということになりました。合間を見ては加工をしながら、12月にはいってようやく完成しました。
1600×550の座卓スタイルの展示台。椎の木の天板に樫の脚を付けました。見た目は薄く軽快ですが、とっても重いものです。横に補強を取らずとも全くたわむことはありません。
2300×300の赤樫の棚板。片側が直線に切られていたことで壁前におく展示台です。赤身の感じは全くローズウッドか花梨のようです。珍しい材です。


1800×400の白樫の棚板。両側とも、虫食いの穴がたくさんありますが、樫の木らしい粗い木目と肌が特徴です。表面には今年、栽培して採れたエゴマの油をふんだんに染み込ませました。お陰で、つるつるです。


1500×400×400のベンチ。脚も同じ白樫を、勝浦の製材さんにもらって加工しました。これも硬くてねじきれを何回も起し苦労しました。屋外で使うことから、キシラデコールのグレーを塗りました。渋いウオールナットの風合いに仕上がりこれも面白いと思います。座板はナチュラルな形を残していますが、水の腐食を防ぐために、虫食い穴は木パテで埋め目立たないように塗りました。


それぞれ、思いのこもった「作品」になったと思います。今年は、薪づくりから、木製品づくりと、木と向き合う時間が多かったように思います。これらの作品がM氏にとって311を記憶から消せない思い出のオブジェクトになってもらえば良いと思います。

2011年10月23日日曜日

エコメッセ、軽トラ最後の仕事

9月4日は幕張メッセで「千葉エコメッセ2011」がありました。いろいろな絡みで、我がちばデザインネットワークも出品しました。
そこで何んと表彰されてしまいました。
千葉の木材を利用した製品開発に対するものです。

確かに、そういう趣旨のものを出品したので、この表彰をありがたく受け取りました。
参加したのは、私以外に、日野さん、神戸さん、山田英和さんの4人です。

それにしても、同じ出品の中に千葉刑務所で制作された家具もあり、なかなかのものでした。少しデザインを工夫すればもっと売れますよ。


続いて、10月14日のことです。
6年前に購入した我が社の軽トラックを売りに出しました。2台乗用車とダブって所有するのは時代に合わないのではという気があって、手放すことにしました。

その仕事納めで、大量の木材チップを購入し、白木の前庭に敷設しました。針葉樹(杉)の香りもすがすがしい出来上がりです。


どう見ても重量オーバー気味でしたがゆっくり、壊れないように運びました。チップ満載のこの軽トラを見ると、たくましいわが子を見るような思いがありました。
とにかく、おろして播くのが大変。汗みどろの作業でした。

2011年9月16日金曜日

OZONEジャパニーズオーガニックライフ展



9月2日から19日まで、新宿のリビングデザインセンターOZONEで表記の展示会が行われている。CDN理事長の中田重克さんがイベントのコーディネートをしている。千葉の交流展と同日開催なので双方ともてんやわんやであった。


展示の中のメッセージコーナーに文章と関連する何かを展示するようにということなので、手元にあった木製のカトラリーを送った。


オーガニックライフって私には特別のものではない、世の中の毒にならない生活の見直しをすることだと思う趣旨を書いた。これがその展示である。デコさんもあったりでなかなか楽しい催しものである。

デサイン交流展

9月2日から7日まで千葉市のきぼーるで、県産業振興課主催の「ちばデザイン交流展in2011」が行われた。わがCDNも、ポスト311のデザインの在り方をテーマに出品をした。


私の、出品は「自力再生力」をテーマに、手工による身体性の復活を提案する象徴的な作品を展示した。タイトルは「薪の家具」


これからの時代、身の回りに何が起ころうとも、自らの身体を活かして生活を作る能力が求められている。という想定で考案したもので、既に切り倒された大きなニッキの木と山桜の枝を使い、テーブルとスツールに加工した。


製材は自分で、加工仕上げはCDNの木工作家山田英和さんに依頼した。


素晴らしい出来栄えだった。最終日会場に来た方がどうしても欲しいとねだられ、とうとう売ってしまった。その熱意に負けた感じである。薪の家具というよりも「牧場の家具」というアルプスの少女ハイジの連想で欲しくなったそうだ。

唯一の展示証拠写真である。

2011年4月13日水曜日

作業小屋竣工

これまで木工やデザインモデルの制作はもっぱら勝浦の空いている家を使ってやっていた。本来人に貸す目的で建てのだから、そのまま使っているのはおかしいし、不経済である。 ということで、岬の家の庭の片隅に6畳ほどの小さな小屋を建てた。小屋と言ってもロフト付きで、快適な家になった。まさに隠れ家という感じだが、母屋から3m程だから単に物置のようなものである。 ここにこもって何をやる?それはまだ十分考えていない。木の器や、小物、手間のかからない家具なんかを手づくりでやろうと思う。あくまでも趣味の世界のレベルしかならないだろう。 外観は母屋に合わせた真っ白な塗装。自分でぺたぺた塗ったので、いささかむらっぽい。なんだかロボットの頭みたいな形になった。 内部はコンクリート土間である。そのままだと足が冷たいのでコルクでも貼ろう。作業台も2台今日の内に作った。大震災の余震が続き、気持ち悪いが、何か打ち込むものを持たないとやってられない。 勝浦の別荘はとりあえず「震災ホームステイ」に登録してあるが、なかなか借り手がつかないみたいなので、普通に住み手を5月からでも募集しよう。

このブログ、更新が何と今年第1っ回目なのである。すっかりさぼっていたのだ。311がその追い打ちで、しばらく何もする気にはなれなかった。3月31日に東北の石巻、女川へ行ってきたが、復興への意欲は見て取れた、早く日常に戻れるのが一番だと思う。


我々の生活も、311以降の日常生活は変わらざるを得ないであろう。変わる部分の最も大きいことは、常に災害があっても自力で生活ができる環境を地域で作って行くための、これまでになかった1アクションだろう。まちづくりの方向が見えてきたように思う。