2011年12月10日土曜日

311の記憶の家具

今年も12月で、終わろうとしています。いろいろあった中で、誰しも生まれて初めての大津波、大地震、原発災害と記憶から消せない1年となりました。




その3月11日の震災は、御宿の牛舎8号でM氏と銘木の購入のお手伝いをしている最中でした。その時に購入した材は、私の工房で半年以上寝ることになりました。


10月頃、そのままというわけにもいかないので、M氏と相談し、元々の計画通りに形にしようということになりました。合間を見ては加工をしながら、12月にはいってようやく完成しました。
1600×550の座卓スタイルの展示台。椎の木の天板に樫の脚を付けました。見た目は薄く軽快ですが、とっても重いものです。横に補強を取らずとも全くたわむことはありません。
2300×300の赤樫の棚板。片側が直線に切られていたことで壁前におく展示台です。赤身の感じは全くローズウッドか花梨のようです。珍しい材です。


1800×400の白樫の棚板。両側とも、虫食いの穴がたくさんありますが、樫の木らしい粗い木目と肌が特徴です。表面には今年、栽培して採れたエゴマの油をふんだんに染み込ませました。お陰で、つるつるです。


1500×400×400のベンチ。脚も同じ白樫を、勝浦の製材さんにもらって加工しました。これも硬くてねじきれを何回も起し苦労しました。屋外で使うことから、キシラデコールのグレーを塗りました。渋いウオールナットの風合いに仕上がりこれも面白いと思います。座板はナチュラルな形を残していますが、水の腐食を防ぐために、虫食い穴は木パテで埋め目立たないように塗りました。


それぞれ、思いのこもった「作品」になったと思います。今年は、薪づくりから、木製品づくりと、木と向き合う時間が多かったように思います。これらの作品がM氏にとって311を記憶から消せない思い出のオブジェクトになってもらえば良いと思います。

2011年11月11日金曜日

エゴマの栽培結果

11月10日




今年初めて栽培に挑戦したエゴマの結果が、油となって帰ってきました。120CC入りの化粧瓶9本に入ってきました。つまり1080CCということです。元の種の重量は3.6Kgですから。搾油率30%ということで、菜種とほぼ同様です。


とにかく、貴重な油です。国産常温圧搾、自然ろ過のモノは、大抵2000円程度でネット販売されています。栽培は、5月の種蒔きから始まり、6月後半に苗の移植、7,8月の成長期に枝数を増やすための新芽の摘み取り、9月には台風対策、10月に刈り取り、乾燥、脱粒、清掃、唐箕かけ、最後は水洗いと乾燥と7カ月余り、ほとんど毎月手を入れなくてはならなかった程です。
難しい栽培ではないのですが、いつも見なくてはならないのと、風に弱く、根元からポキリと折れてしまい、そのままにしておかないと熟成しないなどの配慮が必要でした。栽培したのは全部で80株程でした。1平米に1本というほど場所も取ります。それも難しい条件かもしれません。最後の水洗い後の感想がこの写真です。ようやくできた油にラベルを付けました。何人か大事な友達に分けました。


来年もと思っていますが、誰か手伝ってもらいたいですネ。

2011年10月23日日曜日

エコメッセ、軽トラ最後の仕事

9月4日は幕張メッセで「千葉エコメッセ2011」がありました。いろいろな絡みで、我がちばデザインネットワークも出品しました。
そこで何んと表彰されてしまいました。
千葉の木材を利用した製品開発に対するものです。

確かに、そういう趣旨のものを出品したので、この表彰をありがたく受け取りました。
参加したのは、私以外に、日野さん、神戸さん、山田英和さんの4人です。

それにしても、同じ出品の中に千葉刑務所で制作された家具もあり、なかなかのものでした。少しデザインを工夫すればもっと売れますよ。


続いて、10月14日のことです。
6年前に購入した我が社の軽トラックを売りに出しました。2台乗用車とダブって所有するのは時代に合わないのではという気があって、手放すことにしました。

その仕事納めで、大量の木材チップを購入し、白木の前庭に敷設しました。針葉樹(杉)の香りもすがすがしい出来上がりです。


どう見ても重量オーバー気味でしたがゆっくり、壊れないように運びました。チップ満載のこの軽トラを見ると、たくましいわが子を見るような思いがありました。
とにかく、おろして播くのが大変。汗みどろの作業でした。

2011年9月16日金曜日

2011年度菜の花搾油完了

昨日、8月14日に依頼した今年の菜種の搾油が完了した油が届いた。

元の種の重量が38.5Kgだったので、合計13リッター、重量比で30.7%の搾油率であった。


これはほぼ昨年と同じ収穫量である。あまり手をかけない栽培の割には良い方ではと思う。


一緒に協力した菜の花エコいすみのメンバーには早速デリバリーをして喜んでもらった。


昨年の反省から、収穫した株は立てたまま乾燥させ、種の熟しを進めた結果、濃い黄金色の出来上がりである。もちろんおいしいに決まっている。

これからの食事が楽しみだ!!

OZONEジャパニーズオーガニックライフ展



9月2日から19日まで、新宿のリビングデザインセンターOZONEで表記の展示会が行われている。CDN理事長の中田重克さんがイベントのコーディネートをしている。千葉の交流展と同日開催なので双方ともてんやわんやであった。


展示の中のメッセージコーナーに文章と関連する何かを展示するようにということなので、手元にあった木製のカトラリーを送った。


オーガニックライフって私には特別のものではない、世の中の毒にならない生活の見直しをすることだと思う趣旨を書いた。これがその展示である。デコさんもあったりでなかなか楽しい催しものである。

デサイン交流展

9月2日から7日まで千葉市のきぼーるで、県産業振興課主催の「ちばデザイン交流展in2011」が行われた。わがCDNも、ポスト311のデザインの在り方をテーマに出品をした。


私の、出品は「自力再生力」をテーマに、手工による身体性の復活を提案する象徴的な作品を展示した。タイトルは「薪の家具」


これからの時代、身の回りに何が起ころうとも、自らの身体を活かして生活を作る能力が求められている。という想定で考案したもので、既に切り倒された大きなニッキの木と山桜の枝を使い、テーブルとスツールに加工した。


製材は自分で、加工仕上げはCDNの木工作家山田英和さんに依頼した。


素晴らしい出来栄えだった。最終日会場に来た方がどうしても欲しいとねだられ、とうとう売ってしまった。その熱意に負けた感じである。薪の家具というよりも「牧場の家具」というアルプスの少女ハイジの連想で欲しくなったそうだ。

唯一の展示証拠写真である。

2011年8月15日月曜日

行元寺のヒマワリも盛りが過ぎました

8月13日、行元寺谷津のヒマワリは開花して2週間がたち、盛りが過ぎました。この「春りん蔵」は花が満開になるとすぐ首が下を向き、うつむきの状態になります。そっけない感じです。後から咲いたのは、まだしゃんとしていますが、その分花は小さめで、生育不良というところです。同じ時に植えた綿の花も咲きました。これが意外ときれいです。なんとオクラにそっくりです。更に、エゴマも大きく育ち、油糧植物の見本市みたいな畑になりました。それぞれ油や、繊維になれば栽培した甲斐があります。

ヒマワリは10月位に種取り作業、11月にはエゴマと綿の作業となりますが、その間に菜の花の種蒔きもやるとなると大変です。

茨城の搾油施設

8月11日に茨城県取手市にあるNPOバイオライフさんの搾油施設に、今年とれた菜種を持ち込み搾油のお願いをしてきました。搾油機は常温のまま搾油できる高性能のドイツ製、中農研にあったものと同タイプです。二回りくらい小型ですが搾油能力は十分でしょう。搾りカスはかなりサラサラで、良く油が搾られた結果だと思います。
バイオライフさんは、本格的に菜種栽培に取り組み栽培面積も、こちらとは比較になりません。もちろん販売しています。油としては菜の花とひまわりの2種類。化粧瓶にいれ販売しています。300ml入りで1110円ということです。
菜種の種類は「キラリボシ」という身体に良いタイプです。種だけの販売もかなり安そうです。次期以降切り替えても良いでしょう。

今年栽培している、ヒマワリ、エゴマも搾油してもらおうと思います。

2011年8月2日火曜日

ヒマワリ開花

6月4日に播いたヒマワリ「春りん蔵」が開花しました。多分2日前くらいからなので約2カ月です。

6月4日の種まきの様子です。都会から種蒔き体験ツアーでやってきた女性たちです。大半の人が初めて土に触った方々です。もちろん鍬や、農具に触ったのも初めてのようです。


種だけ播けば良いと思ってきたのですが、主催者の外房ワールドさんは気を使って、わざわざ来るのだからもっと印象深い体験になるよう配慮したのでしょう。皆もう汗だくの農作業体験でした。


1段上の畑には私がエゴマを蒔いて苗づくりをしました。定植も終え順調に大きくなっているようです。今年の秋の収穫はエゴマと綿が取れそうです。

ヒマワリも、エゴマも綿もみんな良い油になります。

今年の菜種は、全部で40Kg収穫しました。油になりますが、テスト搾油の油かすを念のため、環境財団にお願いをして線量測定をしました。「不検出」とのことです。


安心して油も食べられ、カスも利用できます。

人生コツコツ

何か月ぶりかの更新です。いろんなことに関わりを持って、やってますが、反省することも多く、もう少し人との関わりを慎重にせねばと思っています。

ともかく、3月に作業小屋を作り、白木の借家を「震災ホームステイ」に登録しておいたところ、夏休みだけでも子どもたちを外で遊ばせたいという親子が南相馬からやってきました。

いろんな話をしました。「いつになったら自分たちの生活が見えてくるのか分からない。残してきた田畑は将来誰かに買ってもらえるのか?」ということを聞くと、国や政治家がやることは2度とこういう人たちを作らないという強い決意の元、原発をすべて廃棄し、福島の大半の土地を国有化し、そこの住民に責任を持って次の生活地を保障することを実行しなくてはなりません。

本来、エネルギー、食糧、文化は地域で補うもの、工業化、産業立地など国のやってきたこと全て大反省をしなくてはなりません。脱近代化、脱産業化を図る臨界点に今あると思います。

コツコツ人生をやってきた中で、駒形さんから頂いた「肉桂の木」からお皿を作りました。すべて手仕事です。硬い木です。木肌は滑らか、木目も繊細です。樹皮がシナモンの香り、ニッキの木だから当然ですが、木部は薫りません。

エゴマ油を塗りました。しっとり良い感じです。この後カトラリーシリーズを作ります。

2011年6月18日土曜日

2011年度菜の花収穫

今年の菜の花は昨年10月に種を蒔いて以来順調に推移してきました。



種蒔き以降、1回だけ間引きをして、その後追肥と土寄せを1回行いました。結果的には1本1本の株が細くなり、収穫にも影響が出るものと思われます。

6月9日に収穫しました。今年は、圃場に近い夷隅の目羅さんのビニールハウスを借りることができ、搬送は楽でした。又、昨年の反省から刈り取った株を立てておくために工事用のコーンとバーを借りそれに立て掛けるようにしました。


刈入れの前に、畑にはカワラヒワが見かけられ、いくらか食害にあっていました。来年以降、この畑では目を付けられ気をつけなければなりません。

ビニールハウスにはまだ鳥は来ていないので少し開けておいても大丈夫のようです。かなり良く乾燥していますが、内側の湿気は高いため時々風通しが必要です。又、株の束の置き換えも2度ほど行い内側の束のカビらないようにしました。

ご覧の通り、菜種の種子は黒く熟したものが多く、昨年とは色味が違います。搾油については、今年は長野ではなく、茨城のNPOに依頼するようになると思います。近いので、搾油作業を一緒に参加できるのではと思います。時期的には7月末か8月初旬になると思われます。
来週には脱粒ができそうです。それから1カ月ほど、しっかりとビニールハウスで乾燥させる予定です。

2011年4月13日水曜日

作業小屋竣工

これまで木工やデザインモデルの制作はもっぱら勝浦の空いている家を使ってやっていた。本来人に貸す目的で建てのだから、そのまま使っているのはおかしいし、不経済である。 ということで、岬の家の庭の片隅に6畳ほどの小さな小屋を建てた。小屋と言ってもロフト付きで、快適な家になった。まさに隠れ家という感じだが、母屋から3m程だから単に物置のようなものである。 ここにこもって何をやる?それはまだ十分考えていない。木の器や、小物、手間のかからない家具なんかを手づくりでやろうと思う。あくまでも趣味の世界のレベルしかならないだろう。 外観は母屋に合わせた真っ白な塗装。自分でぺたぺた塗ったので、いささかむらっぽい。なんだかロボットの頭みたいな形になった。 内部はコンクリート土間である。そのままだと足が冷たいのでコルクでも貼ろう。作業台も2台今日の内に作った。大震災の余震が続き、気持ち悪いが、何か打ち込むものを持たないとやってられない。 勝浦の別荘はとりあえず「震災ホームステイ」に登録してあるが、なかなか借り手がつかないみたいなので、普通に住み手を5月からでも募集しよう。

このブログ、更新が何と今年第1っ回目なのである。すっかりさぼっていたのだ。311がその追い打ちで、しばらく何もする気にはなれなかった。3月31日に東北の石巻、女川へ行ってきたが、復興への意欲は見て取れた、早く日常に戻れるのが一番だと思う。


我々の生活も、311以降の日常生活は変わらざるを得ないであろう。変わる部分の最も大きいことは、常に災害があっても自力で生活ができる環境を地域で作って行くための、これまでになかった1アクションだろう。まちづくりの方向が見えてきたように思う。