5月20日
この日と前日、皆さんの条件にあわせ布施の畑の草刈、網掛けをやりました。今年は、昨年と比べ更に収穫は悪い状態になります。それでも残った株を鳥から保護し、種だけでもとろうということで、防鳥ネットを張りました。株が分散しているため、最も成長の良かった戸張さん担当の畝だけをかぶせました。
これで2週間ほど熟せば収穫が可能と思われます。帰る頃、数羽のカワラヒワが偵察にやってきました。多分分散した株は、あっという間にたいらげられるでしょう。
幾つか反省点があります。菜種を栽培して4年目になりますが、この畑の地力がやせて来ていることが、まず第一でしょう。菜種は昔から、牛を飼う農家の排泄物を捨てる場所で栽培してきたようで、毎年土を作る堆肥の補給がないと基本的に無理なようです。土を中和する石灰も必要のようです。次に、播種段階で堆肥を鋤きこみ、土を耕し粒を細かくすることで、発芽を促すことも重要なことです。更に、発芽後は、成長にあわせ追肥を行うこと。化成肥料を使わない時は液肥を株元に注入するのが良いそうです。
というように、「菜の花栽培は簡単」というのは、誤りであるというのが教訓です。やはり地道で本格的な農作業が必要ということです。肥料や、耕す機械、雑草とりなど、資力、労力をかけ無ければ満足のいく結果が出せないということでしょう。
さて、今年の秋からこの畑をどうするか考えどころです。
その前に、菜の花の周りに植えたソラマメが収穫期になりました。育ちは菜の花同様いまいちですが、中身は熟れています。試しに少し食べてみましたが、茶色い実はなかなか味が良いと思いました。この色素で染物もできそうです。来週末26日、27日辺りに希望者でソラマメの収穫をしましょう。
2007年5月21日月曜日
2007年5月7日月曜日
連休のある日長男が来た
2007年5月5日
連休後半、前日から長男が横浜から我家を訪れてくれた。正月以来で妻も私も喜んで迎えた。その夜はイナダとタコの刺身とタコ飯でご馳走した。
翌5日、連休の渋滞にはまらないで良い所を案内しようということで、まずは万木城跡へと向かった。我家から西へ15分というところである。下の駐車場に車を置き徒歩で5分ほど坂を上がる。昔の戦国の城跡ということで展望台が建っている。そこから、霞んではいるが海の方向に、太東埼が見える。北、西にも展望が広げ城にうってつけの場所だったのであろう。展望台からは四方に鯉のぼりが泳いで、つつじが咲きまさに「こどもの日」を祝っていた。
万木城から、更に西に5,6分ほど走ると行元寺(ぎょうがんじ)に着く。この寺は天台の寺としてこの辺では格式の高い寺のようで、波の伊八の欄間彫刻で有名である。ちばディスティネーションキャンペーンで全国的に有名になりその期間中連日100名以上の参拝客があったという。
この日も、我々が着いた時に20名ほどがまとまったところで、寺の住職さんが寺の建物欄間彫刻について詳しい解説をして頂くことができた。このところすごく忙しかったので健康を害したということを聞いていたが、なかなかかくしゃくとしたしゃべり方で来た客に感動を与えたのではなかろうか。
その後、昼食を済ませ、とりあえず家に戻る。長男は横浜に帰るということで太東の駅まで送った。家族の一人が帰るだけなのだが、なぜか寂しさがこみ上げた。又、いつでもおいでねという妻の言葉に長男は黙ってうなづいて駅に入った。
我々は、その後太東燈台で行っている「燈台まつり」へと向かった。太東崎燈台クラブの方々が主催していてなかなかの人出で、坂の途中の駐車場もにぎわっていた。地元の人達でなく観光客も多数いるのだが、顔を知っている人も多くいて、地元中心のイベントという感じである。
舞台の上では、顔見知りのウクレレクラブの面々が演奏中。そのあと、決まりのフラダンス。そばの売店では、Oさんの岩海苔や先日ラベルをデザインした「ヴィーナス岬せんべい」が好評に売られていた。
私も僅かながらこのクラブにお手伝いした甲斐があったようだ。
いつも連休のような生活だが、息子が来てくれたおかげで昔ながらの連休を思い出した2日間だった。
連休後半、前日から長男が横浜から我家を訪れてくれた。正月以来で妻も私も喜んで迎えた。その夜はイナダとタコの刺身とタコ飯でご馳走した。
翌5日、連休の渋滞にはまらないで良い所を案内しようということで、まずは万木城跡へと向かった。我家から西へ15分というところである。下の駐車場に車を置き徒歩で5分ほど坂を上がる。昔の戦国の城跡ということで展望台が建っている。そこから、霞んではいるが海の方向に、太東埼が見える。北、西にも展望が広げ城にうってつけの場所だったのであろう。展望台からは四方に鯉のぼりが泳いで、つつじが咲きまさに「こどもの日」を祝っていた。
万木城から、更に西に5,6分ほど走ると行元寺(ぎょうがんじ)に着く。この寺は天台の寺としてこの辺では格式の高い寺のようで、波の伊八の欄間彫刻で有名である。ちばディスティネーションキャンペーンで全国的に有名になりその期間中連日100名以上の参拝客があったという。
この日も、我々が着いた時に20名ほどがまとまったところで、寺の住職さんが寺の建物欄間彫刻について詳しい解説をして頂くことができた。このところすごく忙しかったので健康を害したということを聞いていたが、なかなかかくしゃくとしたしゃべり方で来た客に感動を与えたのではなかろうか。
その後、昼食を済ませ、とりあえず家に戻る。長男は横浜に帰るということで太東の駅まで送った。家族の一人が帰るだけなのだが、なぜか寂しさがこみ上げた。又、いつでもおいでねという妻の言葉に長男は黙ってうなづいて駅に入った。
我々は、その後太東燈台で行っている「燈台まつり」へと向かった。太東崎燈台クラブの方々が主催していてなかなかの人出で、坂の途中の駐車場もにぎわっていた。地元の人達でなく観光客も多数いるのだが、顔を知っている人も多くいて、地元中心のイベントという感じである。
舞台の上では、顔見知りのウクレレクラブの面々が演奏中。そのあと、決まりのフラダンス。そばの売店では、Oさんの岩海苔や先日ラベルをデザインした「ヴィーナス岬せんべい」が好評に売られていた。
私も僅かながらこのクラブにお手伝いした甲斐があったようだ。
いつも連休のような生活だが、息子が来てくれたおかげで昔ながらの連休を思い出した2日間だった。
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