2007年2月26日月曜日

菜の花畑2月25日

2月26日プロジェクトの仲間のIさんから次のようなメールが入りました。

布施の状況で気になっていた雑草との競り合いが、菜の花が若干負けそうです。
3月9/10日のいずれかで手を入れに行こうと思います。
このブログを見て参加される方はメールしてください。


菜の花エコのみなさんへ

昨日布施に行ってきました。
画像のような感じです。イネ科の雑草(牧草)だと思いますが、昨年は今の時期にはこんなに見られませ んでした。この暖冬で、秋に芽生える数は多いし、全然枯れませんでした。草刈りをしてから冬を迎え、霜で、多くの雑草が育たないかと思われましたが、画像の通りです。本当に良く伸びています。特に1月の霜の少なさと適度な降雨のためと思われます。

多くの菜花が光はあびていますが、このままでは雑草に肥料を吸われてしまいますし、このあとの伸長競争では、光の奪い合いに負けてしまいそうです。そこで、なかなか日程が取れないかと思いますが、とうが立ち始める前に追肥と除草をした方がよい結果に結びつくと思います。
それから、ことしは収穫も早くなるのではないかと思われます。4月から5月にかけての連休には網をかぶせたいですね。そのためにも、3月下旬には、網の覆いの竹の骨組みを作っておきたいなと思います。

伊藤さん竹の提供と併せて音頭を取って頂けないでしょうか。
私はちょっと日程の都合がうまくつかないかもしれません。












2007年2月17日土曜日

O先生の岩海苔

O先生の岩海苔が太東崎灯台の店で評判だということは前にも書いた。そのラベルのために簡単なデザインを提供した。Oさんは岩海苔暦はかなりあるようで、砂の落とし方が作り方のポイントなのだそうだ。
そこで密着取材した。岩海苔を一宮方面の海から採取してきた後、自宅作業場(ガレージ)で水洗い、乾燥の工程を、少し手伝いながら見せてもらった。
当然、水洗いがポイントだから手元は見せるわけにはいかない。「簡単な方法だが、まだ誰もやってないと思いますよ」と、特許レベルの手法である。とにかく早くできるのが良かった。「早く作って、飲みに行こうよ」とせかす私も、乾燥工程はお手伝い。これは一挙公開しよう。冬場はずしている、網戸を使う。網戸にほぼ均一の厚みで洗った海苔をほぐしながらばらまく。これだったら誰でもできる。その後、物干し竿を兼ねた竿の上に網戸を乗せて作業終了。
「残りは又明日。さあ、飲みに行こう」ということで、本編は、「おいしいものを作る」ラベルに相応しく、岩海苔の製作工程の現場情報でした。

陶芸家 丸井孝之さん

N市議の紹介で岬町在住の陶芸家丸井孝之さんと知り合った。私よりもずっと前に東京から移住し、「海窯(うみがま)」という陶房を営んでいる。夷隅川の河畔に自宅と作業場がある。陶芸といっても白磁、青磁など磁器が専門のようで、東京を中心に建築家や、ギャラリーと組んで幅広く活躍されている。
彼のホームページにも作品が紹介されている。型物の磁器とは違い、一個一個が手作りで丁寧に、白磁ならではの薄みと透明感はもちろんだが、同時に手の暖かさが伝わってくるのが特長だ。
先日今年の窯開きということで、訪問してきた。その時、気に入り購入したのが写真中央のワイングラスだ。ブルゴーニュスタイルという丸く下が膨らんだブランデーグラス風のものだ。かなり破格の値段で分けてもらった。夷隅のこの地域ではなかなかその価値が分る人が少ないようで、地元では殆ど商売にはならないようだ。
彼は夷隅に移り住んで来てこの方海釣りを楽しんで勝浦方面の磯を根城にしているとのこと。自分で釣った魚を、自分でさばき、自分の焼いた磁器に盛り付ける、これが一番のセールス手法のようだ。
これからもう少し地元での活動を重視していきたい、そのために私などとの接点でネットワークを広げて行きたいと、希望をお持ちだ。デザインやアートに関わる、クリエイティブな人達を結集して、もっと普通の生活の中でオリジナルな『美』を提供していけるような仕組みづくりをしたいということで、私も一肌脱いで「外房クリエーターズネット」をお手伝いしよう。

2007年2月12日月曜日

布施の菜の花畑現況

2月11日 布施の菜の花畑

夷隅郡市自然を守る会のメンバーが中心となってすすめている菜種菜の花から菜種油を採取しようというプロジェクトです。

7~8人でやっています。下布施の休耕田を約5反部借りて菜種菜の花を種から栽培します。昨年9月に播種した苗がそろそろ株になって、伸びる準備にかかってきたところです。これまで4年ほど手がけてきましたが、なかなかうまくいきません。殆ど鳥による被害で、昨年は95%以上が食べられてしまいました。

でも、僅かながらでも栽培した菜種から油を絞り、それを使った料理を食べた時、少しは充実感があるものです。大量に栽培し、軽油の代替燃料として使えるオイルなのですが、そのためには莫大な栽培面積を必要とし、かかる労力もコストを無視したものになるでしょう。しかし、そのまま無視して良いものか、自然作物が持つ能力を現代に生かす一つの試みとして継続する意味があると思います。とにかく素人の集まりのため、又ボランティア活動のため、どちらかといえばできた油でてんぷらを食べる親睦目的の活動になっています。

今年は、作付面積も減らし楽に効果の上がる栽培をめざし、谷田(さくだ)牧場のWさんに協力してもらい牛糞堆肥をたっぷり鋤きこんだお蔭で、その区域はよく成長しています。但し、雑草も同様によく伸び、菜の花を隠しているのが現状です。緑の雑草はなんか牧草のようです。冬の最中でもしっかり緑になっています。

その中でも、全部で200株程度と少ないですが、株は太くなっていますので大きな成長が見込めます。一緒に植えたソラマメはいち早くすくすく伸びています。菜の花と同じころに収穫できる見込みです。

この後、花が咲き、実がつくころが一番厄介な鳥対策をしなくてはなりません。方法は皆さんと相談して決めるつもりです。

グループの皆さん暫くは成長を見守りましょう。観察に行った方はデジ写真を送ってください。このブログで更新していきます。



2007年2月9日金曜日

勝浦の夜

冬にしては生暖かい夜、久し振りに勝浦まで列車で出かけた。何の用もあるわけでなく、目当てはいつもの「たぬき」である。2年ほど前から御宿のK工務店社長に連れられ行き始め、足繁く行くようになった。

「たぬき」は地元では漁師や特定の常連客だけが行く店で、一見客が行き難い敷居の高い店といわれている。もちろん高級ですましているため高いのではない。名物女将のみっちゃん(実名出してすいません)が、その基準を一方的に行使するだけである。

何がうまいか、当然モツ焼に決まっているが、それに加えて季節ごとに用意されたオシンコが又うまいのである。更に、常連が持ち込む海の物が時々出てきたり、みっちゃんお手製の「青梅の甘露煮」とか、「あわび飯」とか、「蕗味噌」とかが彼女の機嫌のいい時、そんなに忙しくない時にそっと出てくる。

そうした気の利いたオカズはもつ焼きとは別勘定(彼女の誠意)である。それらの作り方も教えてくれる。それを又家でつくり、よくできたら持って行き、みっちゃんに賞味してもらい、評価を受ける。つまり、料理の指南である。私の料理のお師匠さんというところ。

元々、母親の代からのお店で、うんーと若い時からおいしい豚のもつ焼きを焼き続けてきたから、自分の作るものへのこだわりは又すごいものがある。一番人気は「カシラ」の塩だろう。あっという間に5本ぐらい食べてしまう。さっぱり味で旨味がジワッという感じで一番最初に食べることに決まっている。続いて「タン」とか「レバ」とか「ハツ」という風に続けて食べて行き、終わりに大抵「ワッカ」か「コブクロ」で仕上げる。酒は地酒の「腰古井」一号瓶のみ。我慢しても3本は必ず飲んでしまう。4本目はみっちゃんの「よしときなよ」という諌めも無視して二人で一本などとせがんで出してもらう。

店は5時から8時まで、まず7時以降は新しい客は入りにくい。というか、断られる。「もう終わりです」とか「一杯だから席がありません」とかいうのはいいほうで、「早くけーんなよ」とか「あんたに飲ませる酒は無いよ」なんていわれる、いわく付きの客もいるようだ。

全て一人で切り回しているのだから、自分の体のコンディションには相当気を使っている。とっておきは「純正豚カシラ肉から抽出したコラーゲン」を、日常食として使っていることだろう。それを手に入れるのは本人以外は至難の業?肩こりがすごいようで、マッサージに通って解消しているようだが、仕事に追われての運動不足と私は見ている。

話は尽きないが、外房の人々の「原型」みたいな人達に合えるのがこの店である。外房暮らしを始めて、いろいろな楽しみが増えたが、勝浦の浜の人達の持つ独特な人情みたいなものに触れられることは、格別に楽しい。ストレスフリーな環境という感じの街と店である。

東京から移住して来た人もちらほらいるが、殆ど常連状態にならないとやっぱり敷居が高い。2年通ってようやく、みっちゃんと飼い猫の話、料理の話、歯医者の話もできるようになった。ひげ生やしたら「様子が悪いオー」と評判は、いまいちだが、ことあるごとに何かプレゼントしてご機嫌を繋がなきゃと思っている今日この頃である。

2007年2月5日月曜日

「恋のヴィーナス岬」

いすみ市には岬町という時代から数少ない観光スポットとして太東崎灯台がありました。九十九里浜の南端、大原、御宿と房総半島の南部で、山が海岸に迫って来る地形のところです。

太東崎は低い丘ですが周りが平野なものだから、すこぶる見渡しが良いのです。そこを土地の有志の人達がこつこつと長年(21年も!!)に渡って整備してきました。おかげで頂上付近には水仙の群落や、アジサイ、芝生が植えられ、また、トイレもしっかりしたものができ、この町では最も人が来るスポットとなったのです。
年間5万人の人々が来るといいます。毎土、日には「太東崎灯台クラブ」の人達によって、簡易な土地の物産販売所がオープンします。
私の友人で尊敬するO先生は、サーファーであり、コウモリの権威、ギターをたしなみ、海に潜ったり、スキーに行ったりで大忙しの方。海に行ったついでに岩海苔を採取し、砂を抜き、乾燥させパックして「ヴィーナス岬の岩海苔」として、この販売所で販売することになりました。売れ行きは上々のようです。

昨日は、O先生と販売所に行きましたが結構な人出でにぎわっていました。海も良く見え、夷隅川の河口から伸びる潟湖(ラグーン)の先に私の家のあたりがかすんで見えます。いつきても飽きないこの景色は良いのです。
私達のボランティアグループ夷隅郡市自然を守る会も、この周辺がアカウミガメの産卵調査や、植物群落の調査などのフィールドです。太東崎灯台クラブの人達との交流を約束して帰ってきました。

2007年2月2日金曜日

春のきざし


散歩の途中、梅の淡い香りがして1枚写しました。
暖冬ですから、咲いて当たり前のようですが、なぜか暖かいはずの外房では、梅はまだ五分咲きというところ。
ロウバイは既に満開ですが、花が地味なのと少ないので存在感が少し薄いようです。
青空に白くくっきり咲く白梅は、春の兆しの象徴です。

私が住む江場土の宮前地区は立派な槇塀が続く集落です。中でも写真にある一画は、狭い道の両側に多分百年以上経っているような槇塀が続きます。槇の生垣なのですが、こちらでは「槇塀」と呼ばれいます。それに相応しい規模、風格があります。

こうした農村の街並み景観はそこに住む住人の何代にも渡る維持努力の賜物です。防災や緊急時のためとはいえ、安易に道路の拡幅などするべきじゃないと思います。まして、こうした景観を台無しにするような無粋なコンクリート電柱など勝手に立てるものではないと思います。電力会社は大都市部でしか電柱の地下埋設を考えていないようですが、経済性優先主義で失ってきたものが多い時代で、天下の大会社である××電力はもう少し「文化性」感覚を持ち合わせて貰いたいものです。

この槇塀、人の背丈から推測すると約4mはありそうです。年2回の刈り込みは大変な作業だと思います。ここまで高くする必然性があるのは何ででしょうか。そのうちに聞いてみたいと思います。


三門駅が改築

昨年の春、我が利用駅であるJR外房線三門駅が焼失し、仮の駅舎(プレハブ小屋)で営業してきました。まあ元々無人駅ですから営業というよりも、ただ存在していただけですが。それが、いよいよ再興することになり2月1日に完成オープンしました。
オープン式典はした様子も無く、又、駅員がそのためにいた形跡も無く、静かに利用が開始されようです。すがすがしい新駅のスタートです。この駅の特長は、きちんとしたトイレができたことです。清潔で、男女もしっかり隔てられ、乗降客数から見て贅沢な良いトイレです。駅に入らなくても使えますから、公衆トイレとして誰でも使えるところが素晴らしいと思います。建物デザインは刑務所の鉄格子を連想させる横桟がラダー状に外周に組まれ、建物本体を保護 しているようです。こうした設計が、現在のJRの無人駅の標準設計ということなのでしょう。もう少し愛着湧くような、この土地を意識したようなアクセントが欲しいところです。
以前の駅は、初めて見てびっくりの駅舎でした。写真のように貨物用の貨車を改造した、置くだけで駅になるという鉄道会社ならではのコンテナハウスでした。グッドアイデアですが、利用者の立場はあんまり考慮されていませんでした。
外房沿線の近くの無人駅として「東浪見」(とらみ)と「浪花」がありますが東浪見が同じ貨車タイプだったように思います。沿線無人駅グループの中ではダントツにきれいです(当たり前ですが)。公園のトイレとあまり区別できないようなデザインが、「モダン建築」の行き着いた結果のような駅です。二度と放火にあわないよう祈るばかりです。


2007年2月1日木曜日

昨日と今日の「少し仕事」

1月30日

昨年12月に共著で本を出版しました。ほんの一部のお手伝いですが、著者の一人としてお祝いの宴会でおいしいお酒を飲むことができました。

この本は2000年に出版された「次世代ビルの条件」の改訂版、同じ鹿島出版会から「新・次世代ビルの条件」というタイトルで出版されました。

オフィスビルの建設は東京都心部を中心として依然としてすすんでいます。ただ建てればテナントが付く時代ではありませんから、提供する側もユーザーの動向を良く汲み取る必要からこの本の意味があります。もちろん入居する側にとっても、オフィスをただ人数に合わせてスペースを確保するだけのものではなく、その企業の戦略にあわせ必要なスペックのオフィスを選択する時代です。この本はユーザー側の知識、見識を高める上でも、重要なキーワードが網羅されています。

地味な分野の出版物ですが、実用本の域を超えて、次世代に必要な建物のあり方を提案する啓蒙の書でもあります。専門分野の方から、学生まで広く読まれて欲しいと思っています。書いている方々は皆、現場の実践経験豊富で、且つ問題意識の高い方々です。少し先の時代を見た経営の指針にも役立つ図書です。

パーティーは赤坂のライブハウス、8割が男性紳士客、演奏はパーカショニストのはたけやま裕ちゃんをリーダーとする美人トリオ。ご機嫌な演奏が続く中、終列車で帰る身の私は途中で退散。本田さん、申し訳ありません。



1月31日

今日、仕事で昼前から横浜へ。その前我が家の猫、「クーちゃん」は何か体調が優れず写真のように横になっているばかり。これまで1日3食しっかりと、たっぷり食べていたのに、昨日の朝から食欲がぱったりと止まってしまいました。今日朝病院へと思っていましたが、外に出たまま帰らず、私が外出する間際に戻ってきたので、えさと水だけを置き、閉じ込めて行きました。
夜、帰ってきたら少し元気が戻ってきたようです。もう少し様子を見た上で病院へ連れて行こう。
そんな心配事を胸に、5時半まで横浜でしっかりと仕事をしてきました。そんなわけでこの日のラベルは「少し仕事」にしました。